少女証明画とオルドルゥムの花嫁たち

・オルドルゥムの花嫁たち

個展の表題の作品です。
オルドルゥムはもちろん造語です。
今回の個展は自分の中で、オスカー・ワイルド作『幸福な王子』をテーマにしています。なので「オルドルゥム」は金色で宝石が嵌め込まれていた頃が在ったはずのわたしでありあなた、みたいな意味です。ふんわり。考えずに感じるくらいのふんわりで。
今回は花嫁の物語です。少女、魔女、妖精、天使ときて、そろそろ真正面から花嫁に向き合いましょうと。
女の子の将来の夢はお嫁さん、というのは今はもう古いのかもしれませんけど、それでも普遍的にそれは人生の上で多くの人々が当然のようにそうなりたいと望み、そうなるものでもあります。
今でこそ、そうならないことも少しは許されるような世界にもなってきたことも踏まえて。
オルドルゥムの花嫁たち、は永遠の彼女たちということを思いながら作りました。複数形。
結末がないということは、善かったことも悪いこともずっと全部、何も選ばなくたって続いていくということです。これからも。


・オルドルゥムの花嫁

複数形ではなく、たった一人の自分としての花嫁です。
この東西的な信仰をごちゃまぜにした(辿り着くべき天国と輪廻転生的な)感覚ってわりと特殊だとは思うのですが。
手持ちの切符が違うものだとしたら、やはり同じ場所へは行けないし。
けれど一緒に地獄に堕ちましょうというようなフレーズは何歳になってもやはり好きだなとも思うし。
その一方で、死んだあとにもこの生が続くなんて冗談じゃないって思う部分もあって。
今回出てくる『幸福』は全て『幸福な王子』的な『幸福』の意味として使っています。
世界に必要ではなくなったのは、宝石もなく金箔も剥がれ落ちた王子様と、そして王子様のために南の国に行きそびれて死んでしまったツバメと同じようにゴミ溜めに棄てられるもの。せめて、君とわたしでそういうものになりたかった。





・少女証明画
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『アルノルフィーニ夫妻像』という男女が手を繋いだ絵画があります。
婚姻契約の場面だとも言われますが、定かではないようです。wikiを見れば載っていますが『この作品に何らかの物語性があることを示すものはほとんど存在しない。わずかに、不要な火が灯されたロウソクと、意味ありげにも見える不思議な署名だけだ』とも。
ですが目には見えない何かを証明するための絵画、というのが何となく気に入ってずっと残っていました。
今回の個展の中で使った『金箔』は、『幸福な王子』の中に出てくる『金箔』です。「私の体の金箔を剥がして配ってください」と王子様が言ったものです。
「私のために死んだ」というのは、元々はジョン・ヒューストン監督の遺作『The Dead』(ダブリン市民)のラストシーンで、17歳で死んでしまった恋人のことをヒロインが語るときのものです。受け取り方はそれぞれですが「私のせいで死んだ」ともまた違った言葉として残りました。(米ドラマ・クリミナルマインドのS4でもこの台詞が引用されて印象的なシーンで使われています)
本当に死んだわけではないですが、きっと私のために死んだものや、誰かのために死んだ…死ぬことが出来ていたわたしが、在ったのだという架空の、証明として。


・天使になることを選んだ少女
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これはそのまま、「誰かを好きにならなくてもそれは悪いことではないでしょう?」という……。
恋や愛を謳い、恋愛や結婚が当たり前でしあわせなものだとする世界ではあるけれど。
確かにそれはこの上のない喜びに満ちたものでもあるはずだけれど。
そうではないものを選んだときに、足りないとか悪いとか間違っているとか言われてしまうこともあるけれど。
それでも、そうではないものを選んだアリスもいるのです。
それが当たり前のことであるアリスだっているでしょう。
恋をしないことが、結婚しないことが罪であるわけがなく、だから罰を受けなければならないいわれもない。




・少女たちの終焉

それを掴んでいる間は、他の選択肢を考える必要もなく。
それを握りしめている間は他の景色を想像する必要もなく。
でも手を離すことになったときに、繋いでいたはずの掌にべったりと剥がれた金箔がついていて。
その手は世界で一番うつくしくて、良い香りがするのだろうな、という終わりのお話。
次にその手で繋ぐものは、もしかしたらそこまで綺麗なものでも良い香りなんて全くしないものかもしれないけれど。
それを大事にすることが、し続けることを誓うことが、きっと花嫁の始まりのお話になるのでしょう。

・花嫁の一生

一番遠くの世界の果てに行けるとき、というのは、わたしなら小説を読んでいるとき、課題ではなく衝動で好きな絵を描いているとき、これを作りたいと思い人形を作っているとき、つらつらと文章を綴っているとき……でしょうか。
何処にも帰れないくらい遠くに行ってみようと試みても、すぐに現実が引き戻してくるのですけど。それでも本気でそれを試すって命を削る行為にも等しいなと思っています。
何かを試すこと。信用や愛情を試す行為って割とマイナスに捉えられますが、確かに不変であることを証明したいという行為でもあるかなとも思う部分もあって。
婚姻届けの署名や指輪などは、そういう不確かを目に見える形として証明するものなので、それがあれば万人の目に伝わってわかりやすく証拠を提示できるというか。
自分の金箔を使い果たしてしまっていたら、何をもって証明すればいいのだろう。
……指輪や署名以上の形で、いったい何を証明したかったのだろう。




・白に染まる

散骨をしたことがあるので、あのときの自分の指の白さというのが根強く残っています。
遺骨と遺灰は厳密には少し異なるのですが、それは置いておくとして。
何もいらないというのは、逆に言えばこれがあればいい、という最高の贅沢ではないかな、と思うのですけれど。
そんなことも含みつつではありますが、シンプルに純粋に、他意もなく、お嫁さん、というイメージで作りました。
ずっとずっと昔の最初の頃に、思い描いていたような。不純物ゼロみたいな。
それは間違いなくわたしにとっての「オルドルゥム」の灰でした。


・金色のまま

昔、少女の頃見たアニメでは少女が革命していて酷く感銘を受けました。そこでの王子様はわたしにとって長らく憎悪すべき存在とも言えました。また最近のネズミ系劇場作品などでも、王子様は役割として不要とばかりにヒロインのお姫様たちが自主性を確立していたり。それはそれはわたしにとっては心地の良いものではあったのですが。
でもこの前見たアニメでは、ついに王子様も救済されていたんですよね。女の子がお姫様になるために必要な装置である王子様だった彼らの救いみたいな。何だかそこでようやく王子様と向き合えた気がしたわたしなどがいたりしたわけですが。
お姫様も守られる存在としてではなく、どんな姿だったとしても王子様に素敵だと言える……。
ああ、そうやってわたしたち報われたいなぁ、という感情のぶち込みです。
青い鳥は「幸福な王子」のツバメでもあり、此処にいる青い鳥、でもある。うん、もう、全部このまま報われたい。
(むしろそうして時間がずっと過ぎてから報われた)



・ラプンツェルの傷痕

いわゆるヤンデレというわけでもないのですが、ぐっちゃぐちゃな感情を鋏でさらにめちゃくちゃにしてしまうような。
もうね、残るなら何だっていいんじゃない?というくらいの勢いで。全然、何だってよくはないのだけど。
だけど人間は忘れていく生き物で、関係性は上書き更新されてしまうものだし。一瞬の感情がその後の人生全部を支配してしまうくらいに。
長かった髪の毛を、いくらバッサリ切ってしまったとしても、生きていたらまた伸びてしまうんでしょう。
だからラプンツェルは渇仰する。
それは恋や愛に限らず、誰かの記憶にという意味で。
Damnatio Memoriae(記憶の破壊)に抗うために、どうか傷を。忘れられてもいい、どうか残れと。


・白雪姫の復讐

「美しすぎる童話を愛読したものは、大人になってから、その童話に復讐される」という寺山修司さんの言葉からです。
おとぎ話に復讐される心当たりはちらほらあるけれど……。うつくしいものを目にしたときに何か支払うというのは感じているし。
今なら、魔女に林檎を差し出されてもわたしたちはそれが毒だと知っている。知っていて齧ることも出来てしまう。物語に必要なら。
でもどうせなら、それが毒だなんてこれっぽっちも疑う余地もなく、その人のことを信じたままで目を閉じられますように。
両目だと多くの余計な物が見えすぎるから、片目だけなら信じていられるかなぁ。









箱入りの作品たちです。
今回はほとんどのドールにブーケを持たせました。


〜以上が、今回の個展で箱やグラスドームなどに入った、最終日まで展示させていただいた作品となります。



・その他のドール
……の中でもポエム付けたものです。









『オルドルゥム』と呼んでみた証明の絵に結末はやはりなく。
星の光が届く頃、これはあのときのわたしの金箔だったのね、と「   」に触れたとき。
どうかわたしたちが確かに報われていますように。



今回はほぼほぼ白いドレスのお人形ばかりでした。
また別の物語でもご縁がありましたら幸いです。
ありがとうございました。
2019..10 えみんこ